江國香織「間宮兄弟」

間宮兄弟

間宮兄弟

だって間宮兄弟を見てごらんよ。いまだに一緒に遊んでるじゃん。"そもそも範疇外、ありえない"男たちをめぐる、江国香織の最新恋愛小説。
初めての江國香織かもしれません。勿論粗筋を読んで興味が湧いたから読んだのです。しかしまぁ読み易いだけで、正直何も残っていないような。この軽さが著者のいいところなのかもしれませんが…。
幸福は主観。例えそれが忌まわしい一部分から目を逸らすことで成り立っているとしても。改めてそれを認識しただけですね。

間人主義というらしい。

必要とされないことは哀しい。そりゃあ自分が何か大きなものを生み出せるなんて思ってもいないけど、他者との関係の中でしか存在価値を見出せないからなぁ。求められないことは否定されていることと同義でいたたまれない気持ちになる。まぁ実際のところそう*1なんだろうけど。
これからは付加価値を生み出せないと存在が許されない時代なんだろうな。のほほんと構えているだけで来るものを拒まず去るものを追わずの姿勢では淘汰されてしまう。勿論殺されはしないけど、認識という形の中で消される。抹消される。
叫んでも届かないし、叫ぶ言葉も見つからないし、挙げ句搾り出したその言の葉たちは無残にも元から無かったかのように散って消えていく。
それでも自分をアピールしろって?冗談じゃないよ。
人間関係と就職活動。今僕の頭の中はこれだけしか詰まっていない。

*1:つまり否定の烙印を押されているということ。

絲山秋子「逃亡くそたわけ」

逃亡くそたわけ

逃亡くそたわけ

あたしは同じ入院患者の気弱な男を誘って病院を脱出した。何処へ逃げるのか、何から逃げるのか。二人を乗せた車は東へ南へ。九州縦断行の果てに何がある?川端康成文学賞作家の書き下ろし。
タイトルの割に、中身はいたって普通でした。方言が読みにくかったぁ。なごやんの「きゃああ」が可愛すぎると思った。
絲山秋子という名前で星三つ。

絲山秋子「海の仙人」

海の仙人

海の仙人

碧い海が美しい敦賀の街。ひっそり暮らす男のもとに神様がやって来た―。「ファンタジーか」「いかにも、俺様はファンタジーだ」「何しに来た」「居候に来た、別に悪さはしない」心やさしい男と女と神様。話題の新鋭、初の長編。
あれだけ完成度の高かった「イッツ・オンリー・トーク*1から更なる高みに昇りつめることができるんですね。これが僅か二作目。これはとんでもないことじゃないですか?
著者の見ている世界が知りたい。包まれている世界を知りたい。
人物造形と風景描写、独特の世界観とその敷居を低くする“ファンタジー”という設定。p.75の場面なんか思わず涙が出そうになったよ。快哉の涙ね。何も言い表すことができないから、ホントに一度手にとって是非読んでほしい。至高の作品です。

*1:何とデビュー作!

絲山秋子「イッツ・オンリー・トーク」

イッツ・オンリー・トーク

イッツ・オンリー・トーク

引越しの朝、男に振られた。東京・蒲田―下町でも山の手でもない、なぜか肌にしっくりなじむ町。元ヒモが居候、語り合うは鬱病のヤクザに痴漢のkさん。いろいろあるけど、逃げない、媚びない、イジケない、それが「私」、蒲田流。おかしくて、じんわり心に沁みる傑作短篇集。第96回文学界新人賞受賞。十年に一度の逸材、鮮やかなデビュー作。
ぬるい生活に浸りっきりの中、従兄弟が思わず再生していく。人との曖昧な距離感を求めていて、その人間関係が優しくて好感が持てる。特段の意味づけの無いごく身近な行為のようなセックスの存在も、低い温度だから鼻につかないし。収録作「第七障害」も良かった。
すごく、無駄のないような印象。読んでいるほうは目を離す隙がない。
いい作家さんに出会えました。